冬の終わりに
2008年 03月 04日
ぽんと肩を叩かれたとき、振り向かなくても誰だかすぐにわかった。
「よぉ、久しぶり」
「何でしょう」
「昼飯、行こうぜ」
いつものように、私の返事を待たずにエレベーターへ向かう背中を追おうかどうか、しばし迷う。黒のベストにベージュのパンツ。この二年間、あの背中に何度期待させられ、裏切られてきたことだろう。だけど、それも今日で終わりだ。ゆっくりと立ち上がり、エレベーターホールに向かった。
話が本題に入ったのは、パスタの後のコーヒーが終わって、Yがマルボロを取り出してからだった。
「なんだか、なぁ、お前と知り合ってもう2年なんだな。早いな」
「そうだね。全然部署は違うのに、毎週のようにランチしながら企画書直してもらって」
「だって、やってること面白ぇと思ったもん。応援してやりたくなったんだよ」
マルボロに火をつけて、口にくわえる。私がタバコを嫌いなのは知ってるくせに、この人は全然気にしない。顔を横に向けて息を吐き出してから、しばらくこちらに視線が返ってこなかった。じりじりと流れる時間に耐えられず、口を開いた。
「Uさんに聞いたんだけどさ、例の彼女と結婚するんだってね。おめでとう」
ぴくりと頬が動いて、私を見つめる。
「・・・ごめんな」
「なんで謝るの。別に私には関係ないし」
「そんなこと言うなよ。俺だって、なぁ、ずっとお前のこと考えてたよ。だけどさ、こっちにも事情があるんだよ。彼女とも長いし、この歳で、いまさら別れられなくてさ」
「もう良いってば。こうなることはわかってたから」
「・・・ごめん」
「そんなこと言いながら、あのときやっときゃ良かったって思ってんでしょ」
「・・・ちょっとな」
「ばーか」
笑顔を作りながら、胸のあたりにキリキリと痛みが走る。その種の痛みが心地よいと思うようになったのは最近だ。それはセックスの快感なんかと比べ物にならないぐらいの良さで、それを感じられるほど、人を好きになることは、まれだ。
「お前の方は、どうなの。あのA社の男は?」
「別に、別れてはいないけど。最近、新規案件を追加したからそっちがメイン」
「お前なぁ・・・いい女なのに、もったいないよな」
「余計なお世話よ。・・・私、そろそろミーティング行かなくちゃ」
「あぁ、じゃあもう行けよ。またランチしような」
「しないよ。彼女と、お幸せに」
店を出て、会社とは反対方向に向かってずんずん歩き、ビルの陰の小さなベンチに座って、はぁ、と息をついた。冷たい風が頬を叩く。胸の痛みは涙となってせり上がってきた。痛い。胸が痛くて痛くて、うぅ、気持ち良い。気持ち良いよう。
悲しくない悲しくない悲しくない。涙がこぼれないように、両手をついて空を見上げると、ビルの間から見える空にはグレーの雲がかかっていて、そろそろ近づいているはずの春も、まだまだ遠い気がした。
だけど、暖かい季節なんて、来ないなら来ないで良い。
寒い冬を、楽しむ方法を考えるだけ。
「よぉ、久しぶり」
「何でしょう」
「昼飯、行こうぜ」
いつものように、私の返事を待たずにエレベーターへ向かう背中を追おうかどうか、しばし迷う。黒のベストにベージュのパンツ。この二年間、あの背中に何度期待させられ、裏切られてきたことだろう。だけど、それも今日で終わりだ。ゆっくりと立ち上がり、エレベーターホールに向かった。
話が本題に入ったのは、パスタの後のコーヒーが終わって、Yがマルボロを取り出してからだった。
「なんだか、なぁ、お前と知り合ってもう2年なんだな。早いな」
「そうだね。全然部署は違うのに、毎週のようにランチしながら企画書直してもらって」
「だって、やってること面白ぇと思ったもん。応援してやりたくなったんだよ」
マルボロに火をつけて、口にくわえる。私がタバコを嫌いなのは知ってるくせに、この人は全然気にしない。顔を横に向けて息を吐き出してから、しばらくこちらに視線が返ってこなかった。じりじりと流れる時間に耐えられず、口を開いた。
「Uさんに聞いたんだけどさ、例の彼女と結婚するんだってね。おめでとう」
ぴくりと頬が動いて、私を見つめる。
「・・・ごめんな」
「なんで謝るの。別に私には関係ないし」
「そんなこと言うなよ。俺だって、なぁ、ずっとお前のこと考えてたよ。だけどさ、こっちにも事情があるんだよ。彼女とも長いし、この歳で、いまさら別れられなくてさ」
「もう良いってば。こうなることはわかってたから」
「・・・ごめん」
「そんなこと言いながら、あのときやっときゃ良かったって思ってんでしょ」
「・・・ちょっとな」
「ばーか」
笑顔を作りながら、胸のあたりにキリキリと痛みが走る。その種の痛みが心地よいと思うようになったのは最近だ。それはセックスの快感なんかと比べ物にならないぐらいの良さで、それを感じられるほど、人を好きになることは、まれだ。
「お前の方は、どうなの。あのA社の男は?」
「別に、別れてはいないけど。最近、新規案件を追加したからそっちがメイン」
「お前なぁ・・・いい女なのに、もったいないよな」
「余計なお世話よ。・・・私、そろそろミーティング行かなくちゃ」
「あぁ、じゃあもう行けよ。またランチしような」
「しないよ。彼女と、お幸せに」
店を出て、会社とは反対方向に向かってずんずん歩き、ビルの陰の小さなベンチに座って、はぁ、と息をついた。冷たい風が頬を叩く。胸の痛みは涙となってせり上がってきた。痛い。胸が痛くて痛くて、うぅ、気持ち良い。気持ち良いよう。
悲しくない悲しくない悲しくない。涙がこぼれないように、両手をついて空を見上げると、ビルの間から見える空にはグレーの雲がかかっていて、そろそろ近づいているはずの春も、まだまだ遠い気がした。
だけど、暖かい季節なんて、来ないなら来ないで良い。
寒い冬を、楽しむ方法を考えるだけ。
by kyonkoenglish
| 2008-03-04 22:51